一人体験劇公演あらすじ
今日、薬物乱用は低年齢化し世界的な問題になっている。
薬物にまつわる事件が多発し、さまざまな人々が薬物という悪魔に振り回され生きている。
私自身、弟が薬物依存症となってしまった。
両親にとっては「まさか」という出来事であったに違いない。
私は知っていた、、、知っていて止められなかった。
私も薬物をやったことがあるが、どん底に陥るまでに至らなかった。
しかし弟をどん底の世界におとしめてしまった。
「自分のせいで、、、なんとかしなければ」という思いで立ち上がり、家族とともに死に物狂いで「今日一日」を生きた経験をもとに一人芝居を作った。
誰でもどこでも簡単に薬物が手に入る世の中、時代。
友達がやってるから、彼氏がやってるから、カッコイイから、ちょっとした興味から薬物乱用につながっていくことが一番怖い。
薬物使用をやめられずに薬物依存症になり、凶悪な事件、自殺につながることも珍しくない。
そこにまつわる人々、家族にとっては本当に地獄の苦しみである。
薬物をはじめるきっかけは簡単だが、やめて社会のなかで生きていくことは容易じゃない。
私の回りにも薬物で苦しんでいる人がたくさんいる。
「どうしたらいいのか?」そう考えるが、薬物を使っている人間に何を言っても通じない。
彼、彼女らは現実でない現実を生きているのだ。
今の自分に出来ることは、芝居で訴えるしかない。
将来ある若者たちに薬物の怖さ、現実を知ってほしい。
そして薬物や依存者のことも理解して欲しい。
一度、依存症まで陥った人間は、いつまた薬物を使うかわからない「今日一日薬物をやらずに過ごす、そしてまた今日一日やらずに過ごす。そうして一日一日を生きていくしかない」自分の意志ではどうにもならない。
薬物依存症は回復はあるが完治はない、本当に怖い病気だ。
また、なんとかしなければと、もがき苦しむ家族達も「共依存症」という病気になってしまう。
家族の思考、行動が薬物依存へと追い込んでいることも多々ある。
自分が変わらなければ相手は変わらない、自分次第。
それが、なかなかわからない。
薬物はこうして、使っていない人間までも病気におとしいれていく。
人間が作ったもので人間が滅びていく、その怖さを知ってもらうためにも「ADDICTION〜今日一日を生きる君〜」を演じたい。
しかし、ただ劇場を借りて芝居しても自慰行為にすぎない。
いいことしてるような気分になって「はい、終わり」じゃ、意味がない。
友達や知人だけに見てもらってもしょうがない。
薬物のことで悩みを持っている人、苦しんでいる人、これから薬物の誘惑が襲ってくる若者、その家族に見てほしい。
芝居を見て病気が治るわけでもないし、悩みが、苦しみが解決するわけじゃない。
でも「どんなことがあっても、薬物はいけない」という意識を頭の片隅にでもいいからインプットしてほしい。
施設や学校などで活動を続け、映像にもして一人でも多くの人に知ってほしい現実。
薬物を使っている人間だけが悪いわけじゃない。
その家族、仲間、地域、社会、全体が一丸となって考えていかなきゃいけない問題。
薬物を使う前に防ぐ。
依存症になってしまった人は強い心をもって生きていく。
この芝居がそのお役に立てればと思っています。
演じるにあたり
私は薬物を使っていた人間です。
そして、たった一人の大切な弟を薬物の世界に引き込んだ人間です。
だから「薬物やるな」なんて偉そうに言えない。
ただ薬物やったらこうなるよって実感込めて演じたい。
俺は見ていた。
薬物使って地獄に落ちてゆく弟を、家族を、そして今尚苦しんでいる仲間たちを。
私は、自分自身薬物依存症者として、またその家族として両側からの経験を通してひとりでも多くの人に薬物の現実、怖さを知ってもらいたい。
私は、自分自身が薬物から逃げるために活動を続けている。
自分のためにやっていることが、人のため、未来ある若者たちの将来の為になるならば、できる限りこの活動を続けていきたい。
薬物依存になった人間は新しい生き方を見つけなきゃ生きていけない。
弟は全てを捨て、新しい土地に移りました。
そこで結婚し、二人の子どもにも恵まれ、社会に出て働いています。
弟は自身の病気を認めながら今日一日を大切に生きています。
薬物依存者の多くは社会復帰できずに家族もろとも地獄に落ちている現状で、
弟はそのなかでは本当に珍しい回復の事例なんです。
私も新しい生き方を見つけました。それが「ADDICTION〜今日一日を生きる君〜」を演じる活動です。
私自身の回復のためにも貫いて演じ続けてけていきます。